京都・洛北の花脊へは京都市内からだと車で1時間ほど。鞍馬を過ぎてしばらくすると、杉が立つ山肌が両側から車に迫ってくるほど道幅が狭くなり、峠を抜けると隠れ里が現れる。
「HANASE HIGHLAND INN」は、オーストラリアのシドニー近郊にある都市・ブルーマウンテンから移り住んできたケルガード・サイモンさんと慶子さんが2017年に開いた宿だ。レストランとしても営業していて、地元の人は親しみを込めて「ケルガードレストラン」と呼ぶ。約300坪の敷地に建つ築130年の日本家屋を2年かけて改装し、古くて不便なこともあるけれど、心地よい日本の空間と生活が楽しめるようにした。随所に海外のモダンなセンスが少しだけ加えられ、これが大きな魅力となり光っている。玄関の前にはハーブや野菜の畑があり、道を挟んで川、森が広がる。桜も紅葉も独り占め、という景観だ。
慶子さんは大阪府豊中市出身。商社や旅行社でキャリアを積んだ。結婚後、2人の息子に恵まれたが、夫の壮絶で理不尽な暴力に耐えられずに離婚。次男が2歳の時につてを頼って子供達と3人でイギリスのスコットランドに渡った。慶子さんは子供たちが入学した学校で働くことに。次男の先生であり良き隣人だったのがサイモンさんの母親で、仕事場の上司がサイモンさんの父親だった。母親から「オーストラリアのホテルでシェフをしている息子とあなたは気が合うと思うのよ。もうすぐ帰ってくるから」と言われていたが、たいして気にも留めずにいた。休暇で帰ってきた彼は、やさしく、気配りができて、息子たちともすぐに仲良しになった。それがサイモンさんだった。
ラグジュアリーホテルの総料理長を経て3年前までブルーマウンテンで次男と3人でレストランを経営していたが、豊中にいる父の介護のために帰国を余儀なくされた慶子さんに、サイモンさんは迷わず「日本に同行する」と言ってくれた。「25年間も続いた人気店を閉めるのに未練はない。いまこそ、親孝行するべきだよ。日本のアンティークな家屋に住みたいし、山々に囲まれて川があり、冬はスキーができるといいね」と。ネットで探した現場所から豊中の実家まで車で約2時間。な、なんで?遠すぎる、とたいていの人は驚くがオーストラリアでは普通らしい。
冬は雪に埋もれて、最低気温はマイナス18度。あまりの寒さに昨年、薪ストーブを入れた。2018年の大型台風では10日間も電気が止まってロウソクで過ごした。不自由だけど、何とかなる、と思っている。「車で食材を買いに行くけど、買い忘れがあったら、ものすごくがっくりする。片道1時間くらいかかるからね」と2人は笑う。
サイモンさんの作る料理はとてもシンプル。中でも故郷のレストランで人気だったカンガルーの肉のソテーは臭みが無くジューシー。オーストラリアの家庭に遊びに行き、御馳走をふるまわれている感じ。コース価格は設定しておらず、予算を告げればスパゲティ一皿でも用意してくれる。
宿泊は1組5人まで。2食付で1人19,250円(税込)。
その昔、修行僧や霊能者が自己をみつめる修行のために訪れた土地で、おおらかに笑い、厳しい自然と向き合いながら生きる。「辛かった経験も、いま、この瞬間のために必要だったと思います。サイモンと知り合い、導かれてここにいる運命に感謝しています」と慶子さんは言う。水の流れ、風の音。鳥がさえずり、穏やかな時間が流れる。
たとえ短時間でも、そこにいて2人と過ごすことが偶然ではなく“運命”だったのだと思わせてくれる場所だ。
※ハナセ ハイランド イン
〒601-1102 京都市左京区花背原地町120
TEL:075-746-0152
https://www.hanasehighlandinn.com/(英語のみ。そのうちいつかは日本語版も完成する予定)
◆Writing / 澤 有紗
著述家、文化コーディネーター、QOL文化総合研究所(京都市上京区)所長。
京都、文化、芸術、美容、旅や食などなどをテーマに雑誌・企業媒体誌などの編集・執筆を担当するほか、エッセイなどを寄稿。テレビ番組や出版のコーディネート、国内外の企業の京都、滋賀のアテンドも担当。万博の日本館にて「抗加齢と日本食」をテーマに食部門をプロデュースするなど、国内外での文化催事も手掛ける。コンテンツを軸に日本の職人の技や日本食などの日本文化を「経済価値に変える」「維持継承する」ことを目的に、コーディネート活動を行っている。
主催イベントとして、日本文化を考える「Feel ! 日本 -日本を感じよう-」と、自分を見つめ直しQOLを高める「Feel ! 自分-QOL Terakoya Movement ? 」を定期開催。
https://www.qol-777.com